2024-11-27
齋藤美衣さんのお話し会を振り返って
早くも三週間も前のことになりますが、去る11月3日に「庭に埋めたものは掘り起こさなければならない」(医学書院)刊行記念として、著者の齋藤美衣さんをお招きしてトークイベントを開催しました。
記念すべき一冊めのご著書の最初のトークイベントで遥々高知までお越しいただいた美衣さんにも、県内外からご参加いただいた皆さまにも、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいです。お知らせの期間が短かったにも関わらずお席は満席となり、イベント当日を迎える前に予定冊数も完売しました。そして、イベント開催の直前に完成した第一歌集「世界を信じる」も、急遽直接スーツケースで(!)お持ちいただけることになったのですが、こちらもイベント終了後には無事にすべて旅立って行きました。
どちらもお求めいただいた方におまけにと、美衣さんがなんと夜なべをして手作りされたZINE「おいしいものでもどうぞ」を持ってきてくださり、さらには店名にちなんで「雨風」を入れた短歌を手書きで一枚一枚したためられた栞まで、人数分作ってくださいました。
(手縫いで製本まで…)
こういったことのひとつひとつから、そして丁寧に書かれた美しい一文字一文字からも、美衣さんの真摯なお人柄が伝わってくるようでした。
本の内容についても、トークについてもその通りで、美衣さんがまっすぐに言葉を選び出される様子を、参加者の皆さんが固唾を呑んで見守られていたように感じました。
そして、それと同時に不思議と感じていたのは会場のあたたかい空気です。
美衣さんが経験されてきたこと、本に書かれている内容は、事柄を見れば壮絶で痛みを伴うものです。読んでいるだけでも痛みを感じるのですから、小さな体で、たった一人ですべてを受け止め続けた美衣さんの痛みはどれほどだったかと思います。世界にひとりぼっちだった、その気持ちも切々と伝わってきます。
それでも、本を読みながらすぐに私が感じ始めたのは「信頼」でした。
まず私はこの人を信頼していい、という安心感と共に読むことができたこと。
それは、本の方から伝わってきたのが、恨みや憎しみではなく、むしろ信頼のような気持ちだったからではないかと思うのです。読者への、世界への信頼、あるいは愛のようなもの。
淡々と整然と、あまりにつらい出来事が書かれていても、美衣さんが世界をもう一度信じ直そうとしていることが伝わってくるからか、不思議なぬくもりも同時に感じている、不思議な読書体験でした。そんなことを思っていて、ほぼ同時期に刊行となった初の歌集のタイトルが「世界を信じる」だと知った時の感動たるや。
ずっとそばにいる小鳥のように、美衣さんの友達でいてくれた短歌というもの。そして、封印していた大切なものを一緒に掘り起こしてくれた散文というもの。その両方を形づくる「言葉」との信頼関係のようなものが、どちらの本からも、お話をしている最中にも、ずっと伝わってきました。
お話会の後のサイン会も、その後のお茶の時間も終始和やかで、参加者の皆さんの笑顔が印象的でした。
本を読んでいる時から、この会のテーマ「傷を持ちながら、生きることを続ける」について、そして「回復」ということについてずっと考えていたのですが、「回復」というその字の意味とは裏腹に、心についた傷は、決して元通りになど、なかったことになどならないのだと思います。その意味では回復ということはあり得ない。けれど、個人的に気に入っているのは「ふく」という読みが含まれている点です。「膨らむ」や「祝福」の「ふく」を思い出し、ふと「回復」とはそういうことなのではないか、と思ったりしました。元通りになる「回復」などしなくても、むしろ傷は傷のままであっていいし、傷があるのにないことにしなくていいし、けれど傷はそのままに、ぺしゃんこになった心がもう一度ちょっと膨らんでみることはできる。誰かがそうして膨らむ様子を見る時、あるいは祝福される様子を見る時、人は一番癒されるのではないか。参加者の方からの質問に答える形で、しばらく「死にたい」がきていないと、そんなことは初めてで、それはとってもいいものですね、と美衣さんが微笑んだ時の参加者の皆さんのお顔を見て、そんなことに気づいたのでした。
デザートタイムにはほとんどの方が残られました。デザートをご用意している間、テーブルのセッティングは完全にお任せしていましたが、皆さんご協力いただきましてありがとうございました。こんなに大人数で輪になってお茶をしたのは初めての体験でした。
お守りのような美衣さんの字。
記念すべき最初のサイン会でした。
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今回のイベント中の撮影協力は@kettle_photoさんでした。
ありがとうございました!